留まるものと流れるもの

仕事をさせれば誰もが舌を巻き、その仕事に対する厳しさとその先に得られた成功は、ある意味妬まれすらしながらも、理路整然としたその手腕に誰一人として文句を言えるものはいなかったように見受けられた。
それは性格の合わない人であっても、その彼の仕事ぶりを認めざる得なかった事からも伺える。

現役を引退後も、壮健という言葉がふさわしく常にエネルギーに満ちあふれていた。
彼を知る誰もがそのように思い、そして彼の息子が想像していた以上に多くの人に慕われていた。

そのエネルギッシュな見かけとは裏腹に、とても信心深くそして行動の豪快さからは想像し得ない慎重さを兼ね備えていた。
彼の頭の中で計算して答えの出てこない思い込みや推測による判断を一切せず、それでも相手の感情を最大限に汲み、物事に取り組む人だった。

彼は、息子に対して多くを語る人ではなかった。
しかし、彼は息子が中学生になったその日から、子供としてではなく一人の人間として常に対等に扱ってくれた。
それは時として、息子の気持ちを寂しくさせることもあったし、たまに会う甥や姪を我が子よりも可愛がっている様にさえ見えた。

孫に対しては、彼が父として息子にしてやる事が(彼の信念として)出来なかった無条件にすら思える優しさと思いやりを注ぎ続けた。
孫たちそれぞれの性格や、それぞれの個性やポテンシャル/その可能性を引き出し、どの孫からもそれぞれの尺度で最大限に慕われていた。

中でも、唯一の孫娘とは言葉にせずとも馬が合い、二人が為す所作見ていると本当に幸せそうに見えたものだった。

併せて、彼の妻に対する献身ぶりは誰もが認めるものであったし、健在な彼の老齢な母への世話や思いやりは、他人が見ても誰一人として感嘆の念の表さずにはいられないものだった。

引退後の生活は、彼にとってとても幸せなものだったのだろうと思う。
その年代にして、中々得ることが出来ないであろう新しく出来た友達との交流と信頼関係は素晴らしかった。
一見すると晴耕雨読的なスローライフと見えながらも毎日を精一杯慌ただしく生きていた。
物事へ取り組む際に己のスタイルにこだわりを持ち、一度やり始めた事は徹底的に突き詰めないと気が済まない人だった。

そのようなわけで、その知らせを受けた人々のすべてが、何故彼がそんな事に?と、口を揃えて愕然とした。

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彼がその日どうしてもその場へ行きたかった事は、彼の残したメモを見れば一目瞭然であった。
そこで彼が行っていた行為は、近年特に好んで行っていた事だった。

そして、後にその場所を訪れてみて思った事は、彼にとってそこは頭や心の中を切り替え、次のステップに進む為のポイントだったのだろうと思う。


その時彼は、何を思ったのだろうか。
その一瞬の出来事に、何をも思う事すら出来なかったのだろうか。

彼がきっとあの場所で、狭くなる視野の中にそこでしか見ることが出来ない空を最後に見て、まぁいいかと満足げに微笑んだのだと思いたい。決して、無念の内に静寂と暗闇が訪れたのではないのだと。


E-3 + ZUIKO DIGITAL 14-54mm F2.8-3.5

彼の息子が、彼を最後にファインダーに収めたのはその後ろ姿だった。
彼の孫娘は、その後ろ姿に続きながら、悪戯するようにシャボン玉を吹きつづけていた。
ファインダーに収まってはいないけど、振り返り様に見せた孫娘への笑顔は、彼の遺影に映る笑顔よりももっと慈悲深く幸せに満ちていた事を彼の息子は覚えている。

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2011年10月最後の日、僕の父は64年の生

日記・コラム
2011/11/14 00:12



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